#3-2 My hearts'n the homeland 我が心、故郷にあり



「まもなく、第125宇宙基地に到着します」
ジェットが報告する。
目の前のスクリーンには、既に宇宙基地が視認出来ていた。
125基地は、惑星『フロイデ』所属の小型宇宙基地だ。
フロイデは、工業用の金属等を採掘するための無人惑星で、大きさは地球の月と同じ程度。
因みにフロイデの所属する太陽系は、『ベートーヴェン星系』…別に作曲家ベートーヴェンと関係はなく、ここを調査した連邦の指揮官が、クラシック好きで作曲家の名前を付けて回っただけである…と呼ばれ、たまたまそこの惑星の軌道上に宇宙基地を作ることになって、その番号が125番―ベートーヴェンの曲のop.125、即ち交響曲第9番と同じだったため、それまで番号で呼ばれていたこの惑星に、改めてこの名前がつけられたそうだ。
「さてさて、歓喜を寄せられるかどうか。頼むぞ、諸君」
ブリテンがいつもより一人多いブリッジクルーを見回しながら言う。
ジョーの隣のサブコンソールに、ジョーの補佐役に科学士官が入ったからだ。
滑らかな青白い肌をした、ピンク色の髪の毛の女性士官である。
彼女の種族の指の間には発達した水かきがある。大きな瞳とその肌の色があいまって、彼女はまるで蛙に似ていた。
昔こんな蛙飼ってたっけ。
ジョーは、サブコンソールを見つめる彼女の横顔をちらりと見ながら思った。
おたまじゃくしから育てて、大きくなったから近くの池に放してあげたんだよな。
ジョーの視線に気付いたのか、彼女が顔を上げた。
「どうかしましたか?」
「少尉は君に見惚れてたんじゃないか?」
ジェット!余計なこと言うなうよ!
ジョーが答える前に、ジェットがからかうように言った。
口をパクパクさせるジョーの頬が僅かに赤くなる。
とはいえ、ジョーとて、まさか女性に向かって、『君が昔飼っていたいた蛙に似ていたから』なんて答えられないが。
「おやおや、我が期待の新人士官(ルーキー)殿はヘニヨン士官が気になると見える」
艦長!
ブリテンのからかいに、さらに真赤になるジョー。
ジェットがもう一度口を開こうとしたところで、ハインリヒがジェットの頭を軽く左手で小突いた。
「ちゃんと前を見ていろ、バカモン」
「へー…い」
口を尖らせるジェット。そんなジェットに冷ややかな視線を送りつつ、ハインリヒはブリテンに向き直る。
「艦長」
氷塊が口をきいたらこんな感じか。
ブリッジの体感温度が数度は下がった。
「…分かってる、分かってる、真面目にやるとも、副長」
ブリテンが何か言われる前にと慌てて弁解する。
「分かってるなら、よろしいんです」
ハインリヒの視線の呪縛から逃れ、ほっと息を吐くブリテン。
ジョーの顔はまだ赤い。
ジョーがちらりとジェロニモの方を伺うと、彼はジョーに気付くとさりげなく視線をそらした。
…もしかして、ジェロニモ少佐も笑ってた…?
ジョーは、ほんのちょっぴり、落ち込んだ。

調査位置にドルフィン号が到着した。
「ようこそ、ドルフィン号の皆さん。…頼みますね」
基地の司令官とブリテンが交信する。
「はい、お任せください」
愛想よく応答するブリテン。
「調査範囲をこちらでもモニターします。何かあったら、報告お願いします」
普段は全く変化のないフロイデしか映らない基地のスクリーンに、今日はドルフィン号が映し出された。

「まずは、センサーでざっとこの辺を調べてくれ」
通信を終えたブリテンが、ジョーに命じる。
「遊惑星は小さかったとはいえ、それでも大きさはこの船と同じくらいだそうだし、おそらく重量はもっと大きかっただろう。
そんな物体が一瞬で消えるなんて、通常ありえない」
「消えるとしたら、時空の裂け目が発生して亜空間に落っこちたとかですか」
ジェットが言うのにハインリヒが首を振る。
「時空の裂け目が発生するポイントじゃあない。第一、惑星等の重量のある物質の側にそんなポイントは出来ない。
たとえ出来たとしても、僅かなものだし、惑星の重力ですぐ消滅してしまう」
ブリテンが考え込みながら口を開く。
「ならば、時間のズレの所為で違う位相に変換された?」
「それならセンサーに時間のズレが起こった所為で出るある特定の周波数が感知されます。…感知されていません。そうだな、シマムラ少尉」
ブリテンの仮説に再び首を振り、ハインリヒはジョーに呼びかけた。
頷くジョー。
「はい…位相変換が起こった痕跡はありません。ですが…」
「何だ?」
眉をぴくりと上げるブリテン。
「奇妙な周波数をかすかに探知。調査してみます」
ハインリヒが、ジョーのコンソールまで行ってジョーの手元を横から覗く。
「既にだいぶ消えかけているな。…何とか辿れないか?EMバンドを調整してみろ」
「はい、やってみます」
ジョーの手元がコンソールの上で踊り、その隣のヘニヨン士官がセンサーの解析度を上げたとき。

スクリーンに、一気に閃光が走った。

なんなんだ!
ジェットが怒鳴る。
「不明!衝撃波が発生してます!」
ジェロニモも、珍しく焦ったように怒鳴り返す。
「スクリーンの明度を下げろ!シールド、オン!リフレクターを調整しろ」
ハインリヒはジェロニモに指示する。
スクリーンの光量が僅かに和らぎ…あまり効果はなかったが、それでも何とか確認程度は出来た。

空間に、巨大な穴があいている。

「リンク少尉、安全区域まで下がれ!」
「駄目です、エンジン利きません!」
ブリテンの指示にジェットが叫ぶように報告する。
ドルフィン号が、ガクガクと揺れ始めるのを抑えようと、ジェットは必死にバランスを保つ。
「衝撃波、来ます!」
ジョーの報告にブリテンが、全艦内に指示を出す。
「緊急事態発生!
 総員衝撃に備えよ!」

空間の穴の中心部は、その絶対的な光量の発生とは裏腹に、恐ろしいほどの闇をたたえていた。
ドルフィン号は、ぐいぐいとその中心に引き摺られていく。
まるで、悪魔の口に為す術もなく吸い込まれていく罪人のように。

全てを飲み込む光が去った後、125宇宙基地から見えたのは、全く普段と変わらぬ、黒っぽい外見の惑星フロイデが浮かんでいるだけだった。

いつもと、同じ、光景だった。




『総員衝撃に備えよ!』
ブリテンの指示と同時に、医療室の警告灯が点灯する。
その一瞬後に、とてつもない衝撃が来た。
「きゃぁあっ?!」
掴まる間もなく衝撃に翻弄され、床に転がりかけるフランソワーズ。
それを押し止める、力強い腕…ドクターだ。
「しっかりつかまれ、中尉」
ドクターは近くの柱の出っ張りに掴まっていた。
あまりにしっかり掴まっている所為で、壁が僅かにへこんでいるようにも見える。
ドクターに触れられて、フランソワーズは僅かに落ち着きを取り戻した。
ヴァルカン人は、接触型テレパスであり、他人に触れる、などという行為は、相手の感情を読み取ることになり、理性を重んじるヴァルカン人にとっては、苦痛となりかねないのだが、ドクターは、フランソワーズをしっかりと抱きこんだ。
ドクターに触れられているところから、ドクターの理路整然とした思考がフランソワーズに流れこむ。
「ドク」
「何か」
「有難うございます」
短いやり取り。
フランソワーズとドクターの思考が、一瞬溶け合い…

必死にセンサーと格闘するジョー。
何が起こっているのか。
ふと顔を上げると、ジェットも必死に船を操縦していた。
ハインリヒは、艦長席の背もたれ部に掴まり、必死にブリテンが転がらないよう支えている。
隣では、ヘニヨン士官が壁ににしがみつき、その向こうではジェロニモが、シールドを維持しようとコンソールと格闘していた。
ジョーは、自分のコンソールに掴まろうとした瞬間、コンソールのパネル上に電気が漏れ、思わず手を緩めてしまった。
慌てて掴まり直そうとするも、彼の体は、床から僅かに浮いてしまった…

「ワープコアに注意しろ!」
機関室に誰かの怒号が飛ぶ。
衝撃で、ワープエンジンの反応スピードが、臨界点を突破しかかっていた。
何とか押さえ込もうと、ピュンマは必死になって、ワープエンジンの前の操作パネルに張り付く。
隣で、ボーレスもコアの反応を抑えようとマニュアルで操作する。
衝撃の所為で、二人とも片手で掴まりながらの操作のため、思うようにいかない。
クソっ
ピュンマが珍しくスラングで悪態をつく。
「大尉!」
ピュンマが衝撃の所為でノイズの走るパネルをもっとよく見ようと身を乗り出したとき、パネルの上でスパークが走った。
操作に気を取られて、それに気付かないピュンマ。
爆発する!
大尉、危ない!
ボーレスがピュンマを庇うように前に出た…


全てが光に包まれた。


そして、闇。








































…どこかで誰かの声がする。
誰だろう?
『ジョー』
『ジョー、起きなさい。朝だよ』
ああ、神父様か。
『ジョー、庭のバラが咲いているよ。早く起きて、見においで』
本当ですか?
『ジョー』
今、行きます。
『ジョー』
今、行きますって。
「ジョー!」
そんなに急かさなくったって…
「おい、ジョー!」
はっと、目を開けるジョー。
「あ…れ?神父様は…?」
「しっかりしやがれ、ジョー!起きれるか?」
ジョーの目に飛び込んだのは、神父とは似ても似つかぬ派手な赤い髪。
ジェットだった。ぼんやりと虚ろな口調のジョーに、ジェットが喝を入れる。
「しっかりしろよ。お前、オペレーターコンソールからここまですっ飛んだんだぜ?どっか痛む所は?」
ジョーは目をしばたく。
漸く、自分がブリッジの床の真ん中に転がっているのに気付いた。
小さくうめきながら起き上がるジョー。
スクリーンを見ると、船の姿勢が安定してないのだろう、ものすごい勢いでスクリーンの中の星がぐるぐると回っていた。
飛ばされたときに、背中から落ちたのだろうか、ジョーの腰がしたたかに痛んだが、たいしたことは無さそうだ。
ジェットは、そのすぐ側に座り込んでいた。パイロットシートから振り落とされたようだ。
ジェロニモが、ジョーのコンソールの近くにかがんでいた…天井から落下したパネルの下から、ちらりとピンク色の髪が床に散らばっているのが見える。
ヘニヨン士官は大丈夫なのだろうか?
「ジェットは大丈夫?」
「ああ…生きてるぜ」
そう言ったものの、小さくうめくジェット。見れば、ジェットの足が酷く裂けている。
「酷い怪我だ…大丈夫かい?」
「へっ…たいしたことねえって」
強がるものの、ジェットの顔には脂汗がびっしり浮かんでいる。
「リンク少尉!動けるかね?」
「足をやられました…無理ですね、こりゃ」
ブリテンとハインリヒが近寄り、ブリテンはジェットの側にかがむ。
「軽口は叩けるか。よし、大丈夫だな」
ブリテンは軽く笑い、ジェットをパイロットシートに座らせ、脱いだ自分の制服で軽く応急処置をする。
ハインリヒはジェットのコンソールに手をつき、船の姿勢制御を行った。
漸く、スクリーンの中の宇宙が静止する。
「シマムラ少尉は、大丈夫か?」
「大丈夫です」
ブリテンがジョーを助け起こしながら聞く。
ジョーは、痛むのは背中だけで、殆ど無傷だった。
「艦長こそ…大丈夫ですか?」
ブリテンの額から血が出ている。
血を手の甲で拭って、軽く微笑むブリテン。
「落っこちてきたパネルが額をかすっただけさ。無事なら、シマムラ少尉、我輩と機関部へゆくぞ。
リンク少尉は、ここに残れ。ブリッジを頼む。
ジェロニモ少佐!ヘニヨン士官はどうだ?」
「大丈夫です、艦長」
ヘニヨンの意外としっかりした声が返ってきた。
ジェロニモが、彼女の上にあった天井から落ちてきたパネルを、ようやくどかすことが出来たらしい。
ヘニヨンの服の脇が大きく裂けていたが、幸いたいした怪我では無さそうだ。
「よし、ヘニヨン士官はリンク少尉を頼む。副長は、少佐と共に医務室へまず向かってくれ」
ハインリヒが頷き、ジェロニモに目で合図をしていっしょにブリッジを出て行った。
ジョーはブリテンと共にターボリフトに乗り込む。
「機関室」
ターボリフトは、ガクガクと揺れながらも、何とか動いた。




がんがんと扉を叩く音がして、フランソワーズの意識が覚醒し始める。
体が、重い。
おかしいわ…昨日、こんな厚い布団をかけて寝たのかしら?
違う、これは布団じゃない。
もっと、固くて、重くて…
何が私の上に乗っかっているの?
はっと、フランソワーズが目を開けた。
医療室の白い天井が見える。
起き上がろうとして…何か、ずっしりとした重いものが、夢ではなく本当に自分の上に乗っかっているのに気付いた。
何とかその下から這い出す…
違う、『物体』じゃない!
これは、ドクターの『身体』だわ!
フランソワーズは愕然とした。
なんと言うことだろう。
普段、フランソワーズはベタゾイドとしての能力を極力押さえているとはいえ、生きているものならたとえ相手が気を失っていようと、その『生気』とでもいうべきものが、相手の身体を包み込むように取り巻いているのが判る。
それがいま、まったく感じられない。
ドクターが、床に落ちている、パネルや、医療用器具と同じ、只のモノにしか視えない。
ぬるり、とヴァルカン人特有の緑色の血液がフランソワーズの手のひらを濡らす。
妙に、絵の具じみた色。
それがかえってリアルで。
一瞬、能力の制御が緩む…全艦内の、人々の感情…
驚き、悲しみ、怒り、痛み、そして、『もっと生きたい』という、消えかかる意識。
それらが一気にフランソワーズの中に押し寄せ。

「きゃあああああああっ!」

フランソワーズの感情が、能力が、爆発した。

「駄目です、開きません」
丁度その時、医務室の外では、ターボリフトで到着したハインリヒとジェロニモが、医療室のドアを開けようとしていた。
衝撃で、構造が歪んだのか。
自動で開かなかったうえ、手動で開けようと非常用開閉バーを操作しても一向に動かない。
「無理にでもこじ開けるしかないな」
ジェロニモと、ハインリヒが二人で一気にドアに力を篭める。
がこん、という音がして、漸くドアが僅かに開いた。
そのまま力任せに隙間を押し開く。
医療室の中で、ドクターが倒れ…その側にフランソワーズが、ドクターの流した血溜まりの中で座り込んでいるのが見えた。
フランソワーズが愕然とした表情をし…叫ぶ。
爆発したように。
絶望と、恐怖を深い悲しみで彩った、心の奥から搾り出すような、叫び声。
「まずい…感情の制御が利かなくなっている。少佐、ドクターをすまないが頼む」
漸く人が通れる程度にドアが開き、二人は医療室に飛び込んだ。
ドクターの遺体をジェロニモが大事そうに抱えて奥の床に安置する。腕を、十字に組ませることも忘れない。
「アルヌール中尉!」
ハインリヒは、フランソワーズに呼びかけたが、彼女に、彼の声は聞こえていなかった。
いやいやをするように、頭を抱え、ひたすら首を振る。
その碧い目には、目の前のことは映っていない…ここではない、どこか違うところが『視』えているのだ。
これ以上能力の制御が出来ないままだと、彼女の精神が侵され、そのまま廃人になる恐れがある。
いや、廃人になるくらいならまだしも、最悪、死―
「フランソワーズ!」
ハインリヒは、頭を抱えるフランソワーズの両腕を右手で一気に掴み、左手で顎を上向かせる。
彼女と視線を合わせ、怒鳴る。
「しっかりしろ!落ち着くんだ。君は、医療部員だろう!」
ハインリヒの叱咤と、掴まれた腕の痛みに、フランソワーズの意識が、ハインリヒを向く。
「副…長?」
「落ち着いて、俺の声だけを『聴』け。
心から他の声を追い出すんだ」
いわれて、フランソワーズは数多の声からハインリヒの、彼女を呼ぶ声だけを抽出し…彼の、力強く、落ち着いた、論理的な感情が、同時に流れ込んできた。
そのおかげで、漸く心にだいぶ弱々しいながらも、『壁』を作ることが出来た。
まだ、強い感情が壁を乗り越えてときどき入ってくるが、何とか耐えるフランソワーズ。
「…すいません、副長。…大丈夫、です」
「そうか」
僅かにまだ声が震えるものの、落ち着きは、戻った。
ハインリヒが、フランソワーズの腕と顎にかけた手を放す。
ジェロニモは、漸く見つけ出した医療用トリコーダーでフランソワーズを走査した。
「怪我は、ありません」
それに頷き、ジェロニモに携帯用医療キットを探すよう命じるハインリヒ。
医療室は、天井からはがれたパネルや、倒れた戸棚で滅茶苦茶だった。
ジェロニモは、まず手始めにパネルを除けはじめる。
フランソワーズに向き直る、ハインリヒ。
「俺達はこれからデッキを回って、怪我人の応急手当をしてくる。ドクターがいない今、ここの最高責任者は君だ…アルヌール中尉、医療室を君が、取り仕切ってくれ。」
ハインリヒは少し言葉を切り、フランソワーズの瞳を見た。
「…やれるな?」
フランソワーズは、ハインリヒの問いかけに一瞬目を閉じ…
次に開けたときには、ゆるぎない、決意のようなものが瞳の奥に見えた。
フランソワーズは、ハインリヒの目―アイカバーの向こうの、青灰色の瞳に視線を合わせ、一つ息を吸い込むと、はっきりと答えた。
「イエス、サー」
ハインリヒは頷き、立ち上がると、ジェロニモと医療キットを抱えて、医療室を出て行った。
入れ替わりに、最初の患者が運び込まれる。
フランソワーズは立ち上がった。
まずは、ぬるりと濡れたままの手を洗う。
「彼をお願いします」
運び込まれた患者を、フランソワーズは診る。
フランソワーズは、大きく深呼吸をした。
「そこのベットに寝かせて」
ドクターは、もういない。
「貴方、そこのトリコーダーを取ってくれる?」
自分が。
「三度の火傷ね。
 大丈夫、命に別状はないわ」
やるしか、ない。




「ピュンマ大尉!大丈夫ですか?」
誰かの呼びかけに、ピュンマは覚醒した。自分は、床にうつ伏せになっていたらしい。
頭を打ったのだろうか、後頭部がずきずきして、目がかすむ。
手をついて、床から起き上がり…床が、妙に柔らかくへこんだ。
「…何…だ?」
床ではなかった!
「ボーレス!」
ボーレスの、肉体だった。
ボーレスも、気付いたのか、小さくうめき…うめいただけだった。
「しっかりしろ!」
ボーレスが、何かいいたげに口を開く…だが、しかし声は出て来なかった。
彼の体から、命の火が消える。口を、僅かに開けたまま。
ピュンマは一度首を振り…振り払うように、立ち上がった。すぐに周囲を見回し、状況を把握する。
呼びかけていたのは、ジョーだった。
「ピュンマ大尉…ボーレスは?」
「死んだ。おい、彼を脇によけておいてくれ。仕事の邪魔になる。
ジョー、ワープコアが臨界点を突破しそうだ。手伝ってくれ」
「そんな…ボーレスが死んだ?嘘でしょう?嘘ですよね?」
つい先ほどまで、一緒に仕事をし、語り、笑いあった仲間が。
ジョーは、信じられなかった。
「ボーレス!」
ジョーは、ボーレスの死体にすがりつき、乱暴にゆする。
「ボーレス准尉!起きてよ!ねえ、起きてってば!」
ボーレスの身体は、ぐんなりと、力なくジョーのされるがままに前後に揺れるだけ。
ピュンマは、ジョーをボーレスの死体から引き剥がした。
「止めろ、ジョー!おい、早く『これ』を…」
「ピュンマ!何でそんな簡単に思えるんだ?死んだらもう、ヒトじゃなくてモノなのかい?そんなものなのかい?」
「そんな訳無いだろう!」
ジョーが激昂したように、涙ながらに掴みかかるのをピュンマがさらに激しい調子で遮る。
そう、そんな訳無い。
ピュンマとて、ボーレスとは共に仕事をし、語り、笑いあった仲間なのだ。
むしろ、ピュンマのほうが、ボーレスの死を悼む気持ちははるかに大きいといえる…ピュンマは、彼の、直接の上司だったのだから。
でも、今は。
今だけは、感情は、邪魔なのだ…
「死者は生き返らない。死んだやつは、この先何があっても、死んだままだ。
だが、ぼく達は、生きている。
この先何か危険があったら、ぼく達は死ぬかも知れないんだ。死にたくなかったら、生きるために努力しろ。死者を悼むのは、安全になってからでいい」
一気に言い募り、ピュンマはジョーの手を乱暴に引っ張る。
「来い!ワープコアが爆発しそうなんだ」
無理やり、ピュンマにコンソールの前に連れてこられるジョー。
「艦長!」
ピュンマの呼びかけに、ブリテンがコンソールから顔を上げる。
「おお、ピュンマ大尉。無事だったか。ワープコアに亀裂が発生している。現在の圧力は、2200…いや、2100パスカル。どんどん下がっておる」
いいながら、ブリテンとピュンマは位置を交替する。
ジョーは、コンソールの脇に、黄色と黒の塊が転がっているのに気付いた。
タールをまとめて、布を絡めたような…
違う。アレはヒトだ!
どこかのパネルが爆発したのか、それに巻き込まれ、潰されたヒトの身体だ!
黄色いのは、制服のちぎれた一部分…唐突に、吐き気が襲ってきた。
何故今まで気付かなかったのだろう、僕は!
辺り一帯、死体で一杯じゃないか!
血の匂いが充満しているじゃないか!
ここは、何処なんだ?
ここは、本当に機関部なのか?
「シマムラ少尉!」
「はい、艦長」
こんな状態でも、条件反射のように返事できるなんて、僕は本当にたいしたものだな。
ジョーの精神は今、二つに引き裂かれていた。
ここから逃げ出して、神父様の元に…地球に帰りたいと思う、願望。
ここに留まって、艦隊士官として働かなければいけないという義務と責任感。
「マグネットポンプを停止し、磁気圧縮装置を解除せよ。すまんが、マニュアルでやってくれ」
「艦長、この状態でポンプを停止したら、コアの反応を再開できませんよ!」
ピュンマが、下から悲鳴のような声でブリテンに言う。
彼はコンソールのパネルの反応の鈍さにじれたのか、コンソールの下を開けて、直接回路をいじっている。
ピュンマに怒鳴り返すブリテン。
「このままワープコアが爆発するよりいいさ!それにポンプを停止しても、すぐ圧力が下がりきるわけではない。下がりきってしまう前に、ポンプの反応を再開させろ。
そこは、君の経験と腕にかかっているぞ」
そう言われてコンソールの下から這い出し、返事をしただけでまだ呆然としているジョーを、エンジンルームの奥へ引っ張っていくピュンマ。
「ジョー、ぼくはポンプを停止させるから、君は圧縮装置を頼む」
いいながら、死体を大股で乗り越え、一直線にエンジンルームへ向かう。
ジョーは、その死体を、大回りにジグザグと避けながら、ピュンマに噛み付いた。
「ピュンマ…君は、こんなに仲間が死んでいるのに平気なの?何で、平気な顔をして仕事が出来るの?悲しくないのか、君は?」
くるり、とピュンマはジョーを振り向き…平手で、ジョーの頬を張った。
「いい加減にしろ!」
コンピューターの発する警告音に混じって、高い音がエンジンルームの奥に響く。
ピュンマに張られた頬を、信じられないように押さえるジョー。
ピュンマは、そんなジョーを見て、少し態度を和らげた。
初任務で、こんな非常事態に遭遇してしまったジョーの気持ちは、痛いほど分かる…だが、つい、下がって休め、とジョーをいたわりたくなる気持ちを必死で押さえるピュンマ。
あえて心を鬼にして、ジョーに言い聞かせる…いや、ジョーを通して、自分に言い聞かせる。
「平気なわけがないだろう。悲しくないわけがないだろう。
でも、まず、ぼくらにはやるべきことがあるんだ。ぼくらがやらなければ、この船の皆が危険にさらされる。慣れなきゃいけないんだ、ジョー」
「慣れるって、何に?人の死に?」
ジョーの言葉に、首を振るピュンマ。
たしかにぼくは、人の死なら、山ほど見てきたさ。
そう、『山ほど』…だって、ぼくは……
でも。
「違う。人が死ぬのに、慣れることは出来ない…だが、たとえどんなに悲しくても苦しくても、自分の責務は全うしなきゃならない、ってことに、だ。
…シマムラ少尉」
階級で、改めて呼びかける。
ジョーが、一瞬震える。
「上官として、ぼくは君に命令する。…圧縮装置を、解除しろ」
ピュンマの真っ直ぐ、厳しい視線に射られ、ジョーは、こみ上げる思いを何とか飲み下す。
「…はい、大尉」
やらなければ、ならない。
必死に、そう思いながら、回路を直接手動で操作する。
視界の端に入る遺体から気をそらすため、ことさらジョーは必死に回路に向かった。

血の匂いが鼻について、しょうがなかった。




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専門用語が飛び交ってますが、雰囲気で察してください(はあと)
大体ヤバメなんだなーと。

某囲碁漫画と同じで分からなくてもいいけど、分かった方がまた楽しめるかも? といった程度です。所詮人情物語〜。

ボーレス…このシーンのためだけに作ったオリキャラ…。 有難う!ボーレス!(逃)
…鬼だなー。

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2003.4.25  © end-u 愛羅武勇

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