平行世界
act.4
「あの朝、何があったの?」



あの朝―――悟空は確かにそう言った。
三蔵がこの世界に来たのは今朝だ。
普通に考えたら今日の事を「あの朝」と言う者は少ないだろう。
悟空が指しているのは、三蔵のいた元の世界での事に間違いない。
だが…


「あの朝、何があったの?」


今朝から何度思い出そうとしても、欠片も思い出せない、その時の記憶。
必死にその糸を手繰り寄せてみるものの、何の手応えもない。
暫く思い出そうと必死になっていた三蔵だったが、どうも集中しきれない。
フルで回転させていた思考を止めて、ため息をひとつついた。
「ダメだ。思い出せねぇ…」
三蔵は諦めたかのような、ため息をつく。

朝、気がついたらこの世界に来ていて、わけがわからぬままに『悟空』と行動を共にしていた。
ずっと動き回っていたせいか、見知らぬ世界に放り出されたせいなのか、三蔵は心身共に疲れていて、思考能力も集中力も低下しているのだ。
「ね、三蔵。身体だるくない?」
「あ?」
突拍子もなくそう言われて、三蔵は怪訝な顔を向ける。
だが、悟空の言う通り、確かに身体はだるく、起きてるのもしんどくなってきていた。
さっきまで、わりと元気だったはずなのに。
三蔵の体力は妖怪にこそ劣るが、並みの人間以上にはあると自分でも誇っている。
よしんば疲れたのだとしても、こんなに眠気があるほど身体がだるくなるなんて―――…

三蔵はハッとして、悟空を見据える。
子供っぽさを残す表情だが、三蔵を見る悟空の瞳は真剣そのものだ。
「おまえ…何を知っている?」
自分しか知り得なかった身体の不調を、ズバリと言い当てた悟空。
あの話の流れで聞くには、あまりにも違和感がある。
三蔵の鋭い視線に臆する事無く見つめ返していた悟空だったが、その表情をフッと和らげた。
「三蔵、よく聞いて。さっきも言ったけど、元の世界に戻りたかったら『戻りたい』と思わなきゃいけないんだ。三蔵が強く願わなければ、それは叶わない」
それは、さっきも聞いた。
同じ事を2度も繰り返されて、三蔵はムカつきを堪えきれず舌打ちする。
「うるせぇ! 思い出せねーもんは仕方ねぇだろっ!?」
「思い出せないんじゃなくて、思い出さないだけなんだよ、三蔵は!!」
三蔵の投げやり的な口調に顔を顰めた悟空は、怒鳴り声で応戦した。
「お願いだから、三蔵、逃げないで! 辛い事から眼を背けないでよ!」
三蔵の両腕をガッと掴み、揺さぶるかの勢いで悟空が叫ぶ。
その悟空の瞳は三蔵が今までに見た事がない…自分が知ってる悟空にも、こっちの世界の悟空にも見られなかった程、真摯だった。
「別に逃げてない…」
その瞳に気圧されるかのように、三蔵の言葉は口ごもる。
それだけじゃなく、三蔵はだんだんと朦朧としてくる意識に焦りを感じていた。
つい、さっきまで健康体と言ってもいい体調だったはず。
それが急に…そうだ、元の世界の話をし始めた時くらいから、徐々に具合が変化したのだ。
おそらく、この体調の変化は元の世界と何らかの関係があるんだろう。


急に静かになった悟空に三蔵が気付き、一度逸らした視線を再度向ける。
「―――えっ…」
思わず漏らしてしまった三蔵の言葉。
それは、元の世界においても三蔵が見た事なかった悟空の顔だった。
「おい、なに泣いて…」
眼に溜まる事もなく、涙は溢れ流したままで、しゃくり上げもせずに悟空は静かに泣いていた。
あまりにも悲壮感が漂う悟空に、三蔵は何と声かけていいかがわからず戸惑っていた時、悟空が呟いた。
「悟空?」
「……もう、時間がないんだ。早く思い出して。早くしないと間に合わない。思い出して。『三蔵』のためにも『悟空』のためにも!」
「んな事言ったって、どうすりゃいいんだよっ」
フラついてきた足をどうにか立たせている状態で、三蔵は必死に思い出そうとする。
だが、眠さが邪魔をして思考能力が高まらない。
それに対してイラつく状態が続く。
どう見たって悟空の様子は尋常ではないのに、その原因を知ってるはずの自分が何も思い出せないなんて悔しい。
悟空はそんな三蔵を、涙を止めることなく見つめていた。

不意に、三蔵の視界に何か赤い色が入ってきた。
その赤い色は悟空の顔に張り付き、筋になって涙とともに流れていた。
一瞬、血の涙を流しているのかと錯覚するが、頭から流れている血だとすぐに気付く。
「なっ…お前、いつ怪我なんてして…!」
三蔵の腕を掴んでいた悟空の手がズルッと離れ、崩れるように後ろに倒れていく。
「おい!!」
咄嗟に三蔵が受け止めたのだが、三蔵の方もやっとな状態で立っていただけに、受け止めきれず悟空と一緒に倒れてしまった。
倒れた拍子に、三蔵は右腕を地面にぶつけたらしく痛みに顔を顰める。
でも、それも数秒の事。
次の瞬間、三蔵の瞳は愕然としたように見開かれていた。

倒れた悟空は頭から血を流し、身体の肌が見える所には擦過傷や切り傷がある。
右肩からは大量の血が流れ出ているのか、赤い色が服にベッタリとついていた。

ドクン…と、三蔵の鼓動がひときわ高く跳ねる。
赤い血と、眼の前に横たわる悟空―――――…

三蔵の瞳孔が見開かれる。
視界には一面の赤一色。
その合間、合間に映し出されるのは負傷し、倒れている悟空。
その悟空も少しずつ変化していた。
悟空の衣服が異世界の物から、映し出される度に元の世界の物へと変わっていく。
「あ……」
三蔵は現実離れした、そのヴィジョンに思わず声を漏らした。

思イ出シテハ、イケナイ。
デモ、思イ出サナケレバ。

正反対の言葉が頭の中を駆け巡ってる感覚に吐き気がする。

思イ出セ!
思イ出スナ!

耳から入ってくるのではなく、頭の中から響く声。
聞き覚えがあるように思えるが思い出せない。
何より今は、それどころじゃない。
…悟空を、悟空をどうにかしねぇと―――
三蔵は途切れそうになる意識を気力で強引に保たせながら、悟空へと手を伸ばした。

その時。
横たわる悟空の頭上に、キラキラと光る物が現れた。
粒子状に光るそれは次第に形を成していき、三蔵もよく知っている形となる。
初めて見つけた時から、悟空がその頭にしていた―――金鈷。
まるで生き物のように悟空の髪に絡みつき、頭の在るべき場所におさまる。
三蔵は眼を見開いて、その『見覚えのある悟空』を擬視した。
「どういう事だ? 俺はこの状態の悟空を前にも見ている…?」
血みどろになって傷つき倒れている悟空。

『……もう、時間がないんだ。早く思い出して。早くしないと間に合わない』

さっき悟空が言っていた言葉が脳裏を掠める。
早くしないと間に合わないとは…?
三蔵に焦りが生じる。
何より気にかかっているのが、この既視感。

悟空は確か『オレの三蔵は貴方の中にいる。それとも、貴方がオレの三蔵の中にいるのかな…』と言っていたはず。
例えばこの体調。
この身体のだるさと異常なまでの眠さは、元の世界の自分とシンクロしている事にはならないだろうか。
「もし」とか「例えば」とかの仮説を三蔵は好まなかったが、こういった説明のつかない状態になってる以上、それを信じてみるしかない。
何しろ、それが真実ならば合点がいくのだから。
自分の身体はさっきまで、まったくの健康体だった。
あんな風に急激に、まるで悟空の言葉に反応するように体調が変わるなんで、どう考えてもおかしい。
そして、それは悟空にも当てはまる。
元の世界の悟空が深手を負ってるとして、こっちの悟空とシンクロしてしまったら…。
間違いなく悟空は瀕死状態でいるはずだ。
その先に待ってるのは「死」しかない。
そこまで考えて三蔵は身体をゾクリと震わせた。

死ぬ? 悟空が?

どうして…

思い出す事も、手当てすらも出来ずに呆然としていた三蔵だったが、不意に思ったことがある。
八戒ならば、悟空の手当てが出来る。
だが、その考えは自分自身によって却下された。
この広い異世界でどうやって八戒を探すというのか。
ましてや、ここに八戒がいるとは限らない。
いても、悟空や三蔵と同じ普通の人間だろう。
やはり、元の世界の八戒でなければ意味がないのだ。
元の世界へ戻らなければ、悟空は助からない。
三蔵は意を決して、心で強く「戻りたい」と何度も繰り返し呟いた。

一瞬、世界がグニャとスパイラル型に変化したものの、すぐに収まってしまう。
何度もやってみたが同じ事の繰り返しだった。
「チッ、やっぱダメか」
ただ願うだけじゃ戻れない。思い出さなければ…
でも思い出そうにも思い出せない。
三蔵が途方に暮れていた、その時、クイッと袖を引っ張る力が加えられた。
袖を引っ張ったのは悟空。
そして悟空が引っ張った袖は、三蔵法師の法衣だった。
その時になって、三蔵は初めて自分の衣服が法衣に戻っていると気がついた。
「…さん、…ぞ」
「バカ! しゃべんじゃねぇ!!」
袖を切り裂き、悟空の肩にまいて一応の止血は試みる。
もっとも、それくらいで止まる怪我ではない。
血にすっかり濡れてしまった布を取り、また新たに切り裂いて布を当てていた。
その時、悟空が苦痛に顔を歪め強引に起き上がったのだ。
三蔵は思わずいさめようとしたが、それよりも先に悟空が三蔵を突き飛ばす方が早かった。
「てめ! 何すん…」
途中で言葉が止まる。
三蔵の眼に映ったのは悟空の背中。
そして悟空の右肩には槍のような凶器が突き刺さってたのだ。

頭の中が一瞬真っ白になる。


俺は、これを見た事がある…


そうだ、あの時も…


あの時も、こうやって悟空に庇われたんだ…


朝。野宿の後片付けを終え朝食の準備をしていた、いつもとそう変わらぬ朝。
三蔵一行は妖怪の襲撃にあったのだ。
ずいぶん久し振りだったから油断があったのかも知れない。
妖怪は数に物言わせ、三蔵達を2分させた。
三蔵と悟空は同じ方角で戦っていたのだが、運が悪く崖の方へと追い詰められる形になる。
おまけに足元は、大小さまざまな岩やら石やら砂利やらで、すこぶる悪い。
そして、場所が風下だったって事にも気付かなかったのは、迂闊としか言い様がない。
妙な匂いを感じた後、三蔵は貧血みたいに頭がクラッとする。
すぐに鼻と口を片手で覆ったが、もう吸い込んでしまったみたいで、急激に眠さがこみ上げて来た。
「クソ、睡眠薬…か」
それでも三蔵は、閉じていく瞼を必死に押し止め、一匹一匹と妖怪を小銃で始末する。
崖のギリギリの所まで来た時、ようやく三蔵は自分の持ち分の妖怪を殺し終えたのだ。
三蔵が安堵して、その場に座り込んだ時、悟空の叫ぶ声が聞こえた。
「三蔵ーーー!!!」
反応して顔を上げると近くの森の中にキラリと見えた何かがある。
それが妖怪の放った槍であると気付いた時には、もう避けようがなかったのだ。


覚悟を決め眼を伏せた三蔵だったが、何の衝撃もない事に気付く。
瞳を開け前を見ると、そこには悟空の背中があった。
悟空は如意棒を妖怪の方面へ向け、命じる。
「伸びろっ!!」
瞬間、恐ろしい勢いで如意棒が伸びだし、凄まじい威力で森の木々を破壊してゆく。
遥か先で妖怪の断末魔がした時には、もう如意棒は元に戻っているのだ。
三蔵は眠さで朦朧としながらも、悟空に声をかける。
「…おい、悟空!?」
血の匂いがするのだ。
三蔵は怪我などしてないし、そこらで死んでいる妖怪の匂いでもない。
今なのだから。
強烈に、血の匂いがしたのは、たった今なのだから。
三蔵はまさかという思いを打ち消して、再度悟空の名を呼んだ。
「悟空…!!」
途端に力が抜けたように悟空が後ろへと倒れ込む。
だが、意識が朦朧とする三蔵には支えるだけの力が無く、そのまま一緒に倒れこんでしまった。
その時に三蔵は見てしまった。
悟空に突き刺さっている槍と、そこから出ている夥しい量の血を。
止血をと思う間もなく、三蔵の瞼は閉じられてゆく。
むせ返る血の匂いの中で、三蔵の意識は急激に薄れていったのだった。


思い出せたのはそこまでで、そこから後の記憶は異世界から始まる。

そうだ。
元の世界に戻って、早く悟空の手当てをしなくては手遅れになる。
だが、もう三蔵の意識も限界だった。
悟空に手を伸ばして、必死に悟空を見る。
三蔵には、もう瞼を開けている体力も気力もなくなっていたのだ。


薄れゆく意識の中で三蔵は、ひとつだけ呟いた。


元の世界へ戻りたい、と。

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リレーの場合、相手の小説読んでから次の物語考えるので当然自分が書いてる時点で今後どんな風になるかさっぱり分かりません。 なのですが、私が企画に参加した時点では英音さんがまだ参加登録以前で、しかも93なんてマイナー私以外のメンバーなんていないだろうなあ…。 と思っていたので参加登録前に一通り話考えてたのです。(チームが一人しかいない場合、最終話以外は一人で制作しなければならない)
英音さんとご一緒出来た小説も楽しかったのですが、せっかく設定作ったのだし分岐点作ってもともとどんなオチにしようとしてたのかを載せようかなあ、と考えてみたり。 でもそれもイメージ崩して駄目かなあ…。と悩む。 因みにもし、分岐するならここからです。3話らへんまではほぼ変わってなかったと思うので。 てゆーか私が考えた話ここらへんからしか思い出せない!(ダメっポい…)

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